ヨーロッパ第一次放浪の旅 8        

撮 影 日 撮 影 場 所 内         容 おまけ 
昭和46年 ビバ、イタリア 今回の旅で最も有意義で収穫があり、駅で列車待ちをしているとき、声を掛けられたがイタリア語の知識は0%、その中でドイツ人一人いて、アルバイトと言ったので、付いていったら、そこはサーカスであった。3日程度で町から町へと移動し、一挙両得の旅と収入が得られた恋と冒険の3ヶ月であった。
※ 写真上でクリックを行うと拡大写真となります。本画面への戻りはブラウザの"戻る"をクリックして下さい。
チルコ(サーカス)
スール
ギアッチオ(氷)

一般氷上サーカス
この時代、例えトラック運転手兼コーラ販売員兼テント設営作業員兼ガードマンで、日給2000円であったが、町に着いたサーカス関係者はタレント並扱いであった。
ヘルナンダ、マルタと
アリカンテへ
今どうしている、マリアと出会い、長い金髪断ち切って、付いて行きます何処までもと、言われても、ごめんなさい
Io sono japoneze、日本へ連れて帰る事が出来なかった。