昭和49年9月、第121飛行隊から101飛行隊に戻り、ようやく機長として飛ぶようになった。121飛行隊で1PCの資格を得、陸上では週に一回くらい機長として飛んではいたが、101飛行隊ではチームを率い、通常の訓練や実艦的訓練に参加した。
自分のチームとして、2Pに成り立ての候補生とチームのメイン・ソナーとしては始めての若い航空士をもらい、本当に若いチームを編成した。このチームを鍛えるべく、2Pには、艦載部隊で培った自分の2Pとしての技量を注ぎ込み徹底的に鍛え上げ、更に、その効果を候補生全員にひろめさせた。クルーであるソナーマンについても、自信を持たせるべく訓練し夏場の相模湾で8000ヤードの水上船舶を探知できた後は、ソナー探知に対する自信を掴んだようであった。このチームで実艦的対潜訓練に参加し、その都度、目標を探知し攻撃と言う成果を挙げていた。
|
|