平成9年3月25日、UH−60Jの下総救難飛行隊勤務となった。下総に着任すると、直ぐに鹿屋での機種転換訓練に参加することになっていた。機種転換訓練は当初、厚木救難飛行隊で行い、次に下総救飛で行い、この春から鹿屋救飛で実施することになっていた。単身赴任の荷物の荷解きもそこそこに、鹿屋救難飛行隊に出頭した。
訓練員は、操縦士が私と徳島救飛からの航学22期のY君、航空士が同じく徳島救飛から1名の3名が、UH―60J転換訓練の受講を始めた。
UH−60JとこれまでのHSS−2やV−107との大きな相違点は、
(1) エンジン計器が小さな丸から縦の棒グラフのようなバーティカル・インディケーターになり、トリプル・タコメーターのNr(ローターの回転数)とNf(フリー・パワー・タービンの回転数)計器、更にエンジン出力のTq計もバーティカル・インディケーターになった。
(2) AI(アティチュード・インディケーター)とHSI(ホリゾンタル・シチュエイション・インディケーター)がアナログからデジタルに変わった。
(3) エンジンの始動に機内のAPU(オグジャリー・パワー・ユニット)を使い、エヤー・スタートで、機外から電源を入れる必要がなくなったことである。
(4) 自立航法装置としてINS慣性航法装置の装備
(5) メインとテールのブレードにアンチ・アイス装置の装備
(6) FRIR(暗視装置)の装備
(7) 気象レーダーの装備
(8) 冷房機の装備
(9) Gの許容範囲が−1.5〜3.5G
HSS−2との相違点は、
(10) SASがBASICでその上にAFCSが装備されていた。
(11) ローター・ブレーキとワイパーが電動になった。
UH−60Jの訓練でこれまでと違うのは、各種エマージェンシーに対する対応である。エマージェンシーの「メモリー・アイテム」とか言って30項目くらいを完全に覚えておかないといけないのがあった。
これまでのHSS−2やV−107では、
シングル・エンジン、フル・パワー
チェックNf(フリー・パワー・タービンの回転数)
チェック・エンジン・インストゥルメント
と呼称しながら、Nr(ローターの回転数)100%を確保し、シングル・エンジン・エアースピードに姿勢をコントロールしていて、これだけでよかった。
これが、UH−60Jでは、シングル・エンジンは、やることはほとんど一緒で
コントロールNr
コンティンジェンシー・パワー・ON
エスタブリッシュ・シングル・エンジン・エアースピード
アイデンティファイ・マルファンクション・エンジンと呼称しつつやり、
その後にメモリー・アイテムの残りが
エンジン・アンティ・アイス OFF
エクスターナル・カーゴ・ストアーズ・アンド・オグジャリー・フューエル・タンク・ジェットソン
マルファンクション・エンジン・シャットダオウン コンプリート、ランド・アズ・スーン・アズ・ポッシブル
コンプリート・シングル・エンジン・ランディング・チェックリスト
と続くのである。
しかも、最近は、OFT(SH―60用)が出来ているので、その訓練までには覚えていないといけないので大変でした。ちなみに、SH−60の方はUHの3倍くらいあるとか、言っていました。50歳を過ぎて、この「メモリー・アイテム」を覚えるのは大変で、お経のように朝な夕なに唱えていました。
OFT訓練がはじまり、「メモリー・アイテム」を覚えたつもりで訓練に臨みましたが、各訓練想定に合った「メモリー・アイテム」がスムースに出ず、たっぷり汗を流したものでした。
飛行訓練がはじまると、SASがBASICということでV−107と同じで、トリム・リリーズを、ぱち、ぱち、ぱち、と使って操縦することにより、結構楽に訓練に取り組むことができたようでした。
約3ヶ月の転換訓練が終わり、下総救難飛行隊に帰ると、次期飛行隊長だからということで、12月までに訓練時間の大半を充当してもらい1PAの資格を取らせてもらった。年が明けて3月になると、鹿屋救難飛行隊長だと言う。下総救飛隊長でもありがたいと思っていたのに、何で俺がと言う気持ちもあったが、気持ちを切り替えて赴任した。
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