一呼吸の熟睡
哨戒機機長
疲れた体を癒すのには睡眠が一番です。栄養の補給や薬剤の投与でも一時的には疲労が回復しますが、日常生活で継続的に体力を再生産し続けるのは睡眠以外にはありません。世の中には夜の眠りが浅い、あるいは全く眠れないと訴える人がいますが非常に気の毒に思います。
私にはある特技があります。睡眠を自分の意志通りにコントロールできるという技です。いつでも、どこでも、誰とでも熟睡できます。
この特技はもちろん生まれた時から備わっていたものではありません。長い自衛隊生活で自然に身に付いたものです。
私は18歳の時には、日本最東端のレーダーサイトでレーダー・マンをやっていました。昭和40年ですから、正に東西両陣営の対立の真っ最中で、最前線のレーダーサイト勤務は緊張感がありました。
勤務は、日勤→日勤→夜勤→夜勤→休み→休み、の繰り返しでもちろん盆も正月もありません。長期休暇は交代で取ります。
でも18歳の若者にとって徹夜勤務は大変でした。昼間に仮眠を取っていても真夜中にはどうしても眠くなります。眠い目を見開いてレーダー画面を見詰めます。もちろん一緒に勤務するクリューは多人数で構成されていますので、レーダー画面を監視する人、正面のアクリルボードに書かれた地図の裏側から逆さ文字で航跡を書き込む人、上級部隊への報告をする人、移動するデータを記録する人、航空機との交信を担当する人、それらの人々を指揮・統制するクリュー・チーフと見事なまでに分業がなされています。チーフ以外の配置は1時間毎に順送りされますが、大変なのはレーダー監視員です。
フライト・プランの出ていない航跡を発見することから全ての態勢が立ち上がりますのでこの配置だけは気が抜けません。他の配置は飛行機が出て来るまでは作業がありませんから、真夜中になるとコックリさんになります。
レーダー監視員だけはコックリさんは出来ません。「先輩はいいな〜。」と思いながら画面を見詰めます。当時のレーダーは1分間に5回転します。アンテナの向きを示すスィープが12秒で1回転する訳です。
夜中の監視員勤務にも大部慣れた頃、ある事に気付きました。フライト・プランの出ていない航跡が出て来るのはレーダー画面の右半分、つまり外国側だけなのです。
当然の事ながら自国領の左半分に現れる航跡は事前に連絡がありますし、多くの場合、隣接するレーダーサイトから引き継がれます。
そうだ!左半分は見なくても大丈夫じゃないか!と勝手に判断してからはアンテナ・スィープの回転に合わせて目をつぶれるようになりました。アンテナは時計回りに動きますので、北から南までの6秒間はカーッ!と目を見開き、南から北までの6秒間はスーと熟睡するのです。集中力を維持するために一つの配置は1時間で交代しますので、1分間に5回、1時間に300回「カーッ!」と「スー(グー)!」を繰り返します。これがタイトルに書いた「一呼吸の熟睡」のゆえんです。
現在のレーダーサイトの事ではありません。今から40年近く前の話ですから、念のため!
レーダーサイト勤務を卒業し、海上自衛隊の航空学生となってからは夜の睡眠を考えるゆとりもありませんでした。訓練と体育、別課と称するクラブ活動で体はクタクタに疲れきり、夜の自習時間にも気が付くと居眠りをしている状態でしたから、消灯時間とともに爆睡です。朝の来るのが何と早かったことか・・・。
パイロットとなって部隊に出てからも深夜に眠いのは変わりありません。真夜中の対潜哨戒など潜水艦との戦い以前に睡魔との戦いです。音響センサーの発達したP−3Cでも一番確実に潜水艦を探知できるのは目視ですから、機内を真っ暗にして海面を見張ります。操縦席には2名のパイロットと1名のフライト・エンジニアのほかに木の板で出来た左右のラックに2名腰掛けることが出来ますので、搭乗員に余裕があればそこにもオフ・デューティーの誰かが座って休憩がてら外を見張ります。
でも演習ともなると只でさえ人が足りないので、そんな余裕はありません。パイロットも二人だけの事が多く、トイレに行く以外は操縦席に固縛状態です。さらに運が悪いと毎日のフライトが夜ばかり、ということになります。
そんな真夜中のフライトが何日も続くとどんなに責任感が強い人でも睡魔には勝てません。コパイロットも条件は同じですから、頑張り過ぎて二人が同時に眠り込んで危険な状態にならないように、コントロールします。緊急避難です。仕方ありません。
コパイロットに操縦をまかせ、フライト・エンジニアに「少しだけ休むから、5分経ったら必ず起こすように!」と頼んで爆睡します。深〜い眠りですと5分でもかなり効果があります。頭がすっきりし、集中力が戻って来ます。
続いてコパイロットを休ませてクリューの持続力を保ちながら哨戒を続けます。
ちなみにフライト・エンジニアは常に二人乗っていて、そのうち一人だけが席に着き、もう一人は休んでいるので心配は御無用です。
また仮に二人のパイロットが同時に眠り込んだとしても、オート・パイロットが確実に高度を保持してくれますし、横の傾きが一定の角度以上になると自動的に戻してくれますので墜落することはありません。その前に二人とも寝たな!と思ったらフライト・エンジニアがすかさず叩いて起こしてくれます。
運良く、パイロットが三人乗っていれば交代で休めます。でも交代者がうんと若いパイロットの場合には、何かあればすぐに交代しなければならず、後ろに下がって休む訳には行きませんから、パイロットの後の例の木の板で出来たラックの上に座ります。ただの板ですから座り心地が悪いと思いきや、内部には大型の電子機器があって、そこから発生する熱でポカポカと暖かいのです。疲れきった体には母の懐のように居心地が良く、またプロペラの回転する細かな振動はさらに気持ち良く睡眠を誘い、アッという間に深〜〜い眠りの底に落ちて行くのです。
「君にとって世界一寝心地の良いベッドは?」と聞かれたら、何の迷いも無く「A−1ラックです。」と答えます。
P−3Cでは、離陸時刻の3時間前にクリュー全員が出勤して飛行準備を始めます。群司令部でブリーフィングのある任務飛行では3時間半前に出勤です。
朝8時に離陸する監視飛行なら、午前4時半には出勤していなければなりません。当然その1時間程前に起床することになります。
8時以前の離陸も日常的にありますので、午前2時、3時の出勤も珍しくはありません。慣れないうちは目覚し時計のお世話になりますが、このような生活を何十年も続けていると、寝る前に次は何時に起きようと心に言い聞かせるだけでその時刻に目覚めるようになります。
私は、念のため目覚し時計はセットしますが、ここ20年ほど目覚しのベルで起こされた記憶はありません。必ず思い込んだ時刻に目覚めるから不思議です。
国際線のパイロットは更に時差が加わりますから、睡眠のコントロールにはかなり気を使っていると思いますが、多分私と同じようにこれと決めた時刻に自然に目覚める人も多いと思います。
海上自衛隊パイロットという緊張を解かれて会社勤めとなった今、真夜中の出勤も無く、天候の心配といえば自分の傘がいるかどうかだけを考えれば良い気楽な生活になりましたが、自然に身に付いたこの睡眠コントロールの能力がいつまで持続するものか興味深く観察して見たいと思っています。 (15.2.4)
それにしてもA−1ラックでの居眠りは気持ち良かったナ〜。