航空四方山話


HSS−2について(1)


HSS−2への機種転換

 昭和46年3月末、小松島航空隊にも館山からHSS−2がやってきた。それまでにも、幾度となく対潜訓練等に飛来してきていたので珍しくはなかったが、HSS−1Nに乗っていた頃はHSS−1Nこそは軍用機のようだと思い、HSS-2が来ると窓が多くて民間用みたいだと思って見ていた。いざ自分が乗るヘリコプターとなるとそんな思いはすっかり忘れてしまっていた。

 部隊が、HSS-2になり機種転換訓練が始まったが、幹侯入校半年前の自分たち候補生は一番後回しで、比較的にのんびりした時間をすごしていた。座学にもあまり身が入らなかったが、7月になって急に飛行訓練が始まると知識不足が如実に現れた。機長も、幹候入校前と言うことであまりきつくはなかったが、飛行前点検等で事細かに沢山教えてもらったようである。このことは、次の館山に任官したときに大いに役に立った。

 昭和47年4月、江田島の候補生学校を修業して館山に任官した。同期が4人任官したが、HSS-2の経験があったのは私だけで、他の3人はHSS−1、−1Nだけであった。私はすぐに2Pの再養成訓練が始まった。このとき、教官パイロットから飛行前点検等で種々質問を受けたが、自分としては適当に答えていたつもりであったが、それがすべて正解で、教官から更に詳しく聞かれても全て答えていたようである。これは、小松島の候補生当時に教わった耳学問の賜物であったと感謝している。


艦載ヘリコプター部隊の新編


 そのうちに、はるな飛行隊の話が出始め、はるな飛行隊用のチームに入ることとなった。11月の1ヵ月間、艦載ヘリコプター勉強のため下総の第51航空隊に臨時勤務となった。51空は艦載用ヘリコプターの8047号機を領収しており、そのシステムと、カナダ海軍で研修してきた資料等の勉強であった。

 館山に帰るとすぐに、新造機8048号機の領収のため名古屋の三菱小牧工場に領収試験飛行に行った。当時私の資格は2Cであり、通常、試飛行は2B以上の資格が必要で、まして新造機である。しかも、私は、トッピングチェックと言うエンジンの最大性能試験さえもやったことがなかった。このトッピングチェックは、実施要領を読むと事細かで複雑であった。しかしながら、実際の試験飛行はあっと言う間に終わってしまった。新造機の試験飛行は、M機長が一人でやっているようで、私が「○○のチェック」と言うと、「さっき終わった」と、私は、チェックリストを追っかけるのが精一杯でした。しかしながら、121飛行隊新編後、新造機8050号機の領収に行ったときは、2Pの私が主導で、「○○のチェック、要領は△△のとおり」とH機長を誘導していた。

ディッピング・ソナー


 昭和48年2月20日、館山、第21航空群の第101航空隊に第121飛行隊が、飛行隊長3等海佐五島 隆司、他23名、ヘリコプター8047と48号機で新編された。翌日には、47号機で大村まで進出し、2月22日には就役し出港直後の護衛艦「はるな」に長崎湾内で2Pとして着艦した。就役したばかりの「はるな」は、その後約一週間、野母崎沖で就役訓練を実施し、佐世保に入港した。その後、母港である横須賀に向け回航、我々は洲ノ崎沖で搭載解除となり、館山に着陸した。

 「はるな」が出港するとヘリコプターを搭載し、帰港すると搭載解除を繰り返していた。種々の訓練に参加したが、潜水艦を目標にしての実艦的対潜訓練では、陸岸から遠い洋上でありソナーの探知距離も伸びて、1万ヤードの探知距離は珍しくなくなり、ヘリコプターの有用性をいやがうえにも認識することができた。

 あるとき、護衛艦隊司令官座乗の「はるな」は、第1護衛隊群の訓練で実艦的対潜訓練を実施した。デイタム(敵潜水艦の最終判明位置)が設定され、「はるな」から3機のヘリコプターがデイタムに向かい、早速潜水艦を探知し「なみクラス」等の水上部隊にスワップ(引き継ぐこと)し、水上艦の外側で待機していた。しばらくすると、水上部隊から「デッド・イン・ザ・ウォーター」、目標失探との情報を得て、直ちにヘリコプターが中に入った。すぐに目標を再探知し、目標の動静を確認して、水上部隊に再度スワップした。しばらくすると、水上部隊がまた失探し、三度、ヘリコプターが中に入って目標を再探知、また水上部隊にスワップ。さらに、水上部隊が失探し、ヘリコプターが入ったが、さすがにこのときは探知できなかった。この状況を見ておられた護衛艦隊司令官は、ヘリコプターソナーの探知能力の高さを再認識されたようであった。

 またあるとき、土佐沖の太平洋上で訓練中、米軍のジェット機が墜落したと言うので航空救難が発動されて、「はるな」から約60NMにヘリコプターが出動し乗員2名を収容したことがあった。「はるな」が、現場に到着した頃、米軍のC−130が飛来し、「パラメディックを降下させようか」と言ってきていた。さすがは、米軍の航空救難部隊だと感心したものである。


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