私は腕時計をいくつも持っています。
時計の量販店等に行って、ウィンドウを眺めているうちに気に入ったものがあるとつい買ってしまうのです。ファッション性とかゴテゴテした飾りとかには一切興味がありません。
私が腕時計を選ぶポイントは、機能オンリーです。正確さに力一杯こだわります。究極の正確性を実現したのは電波時計で、10万年に1秒の誤差しか出ない超正確な腕時計が1万円そこそこで手に入るようになりました。日本は良い国です。この電波時計が30年前にあったらどんなに嬉しかったかと言うのが今回の話題です。
私が時計の精度にこだわるようになったのには理由があります。
私がウィング・マークを貰って初めて搭乗したのは、哨戒機P2V―7です。昭和40年代に活躍した飛行機ですから、若い方々は鹿屋の資料館以外では見たことが無いかも知れません。
この飛行機は哨戒任務で、洋上はるか彼方を飛行しますが、現在と違って自分の位置を正確に知るための器材はレーダーとロランだけなのです。
レーダーは、島や岬など電波を反射してくれる物体が無いと自分の位置を知るのには役立ちません。ロランは有効な位置の線が得られるのは、ほとんど沿岸海域だけで電波を発射する局から数百マイルも離れると誤差が大きくなって信頼できません。また当時は自動的に電波を受信する機能もありません。
それでも任務達成のためには自分の飛んでいる位置を正確に知らなければなりません。当時は戦術航空士の養成制度が出来る前ですから、機上での航法は第3席のパイロットが行いました。つまり、洋上を飛ぶには機長であるファースト・パイロットと副操縦士であるコ・パイロット、それに航法を担当するサード・パイロットの3名の操縦士が搭乗しました。
部隊に配属されたばかりの候補生の役割は、当然第3席のナビゲーターです。そして我ら候補生が最大限に努力したのが、自分の位置を求めるための航法です。航法の基本は「どこを出発してからどの方向に何分飛んだ。」したがって、今はここにいる筈だ。という推測航法です。航法の出発点である島や岬は、パイロットが自分の目で見て上空を通過する訳ですから、間違いありません。上空発動と同時に時計の秒時まで記録して、コンパスの針路を保って直進します。速度も変えません。それでも飛行機は風に流されますので、10分から15分に一度は編流測定儀で編流を計り、針路を細かく修正して風が変わっても航跡が予定のコースに平行になるように飛びます。そして予め計算した到着予定時刻に「オントップ・スタンバーイ、マーク!」の号令で見事めざした島に到着する。というのが理想の姿なのですが、現実はそう甘くはありません。
「おい!ナブ!雲を避けるぞ!」の一言で針路が変わります。ナブと呼ばれたナビゲーターは腕時計の時間を記録し、針路が何度に変えられたのかをチェックしてログに書き込み、地図上に新しい航跡を書き込みます。そして雲を避け終わると、次の変針点への針路を計算してパイロットに報告します。
「雲を超えるために高度を上げるぞ!」となれば、更に速度が変わりますのでもう一つナブの仕事が増えます。雲の近くでは必ず風が変わるのも悩みの種です。現実の哨戒飛行はこれらの繰り返しですので、ナブの頭の中は皆様の想像のとおりです。
そのうち飛行機が揺れだし、さっき気流の良い時に食べた昼の弁当が胃のあたりから込み上げて来ます。生ツバと一緒に何度かは飲み込むのですが、乱気流が続けば時間の問題です。ウェ!という断末魔の声を上げながら塩化ビニールの筒(通称ヘドヅツ)の中に思いっきりモドします。ヘド筒は航法目標弾の収納筒の廃品利用なのですが、当時はナビゲーターの魂と呼ばれる必需品でした。ヘド筒が間に合わない時は、込み上げてくる物を手で押さえようとするのですが、胃の圧力はきわめて強く口を押さえても鼻から吹き出して来ます。筒が間に合わない時は自分の帽子とかカバンが犠牲になります。どこに吐こうが後の始末は自分の責任です。
でも横に座っているクリューは海千山千の古強者ですので、この新米ナビゲーターはそろそろ限界だな、と思って警戒していますから、タイミング良く自分のビニール袋を差し出してくれます。こうして文字どおり自分の腹の中をさらけ出すことによってクリューとの信頼感が増し、少しずつ強くなって行くのです。
一度吐せば随分楽になりますので、隣に礼を言いながら冷や汗と涙をぬぐって、再度の航法の立ち上げです。お取り込みをやっている間にも飛行機は1分間に3マイルの速度で飛んでいますので何とかして正確な位置を知らねばなりません。そこで天測が出てくるのですが、今回は「腹の中」にこだわって紙面が無くなりました。 次に送ります。