時間へのこだわり(天測の話) 哨戒機機長

 

完結しなかった前回の続きです。

慣性航法装置が一般化するまでは、陸岸を遠く離れて太平洋のど真ん中を飛ぶときに、自分の位置を最終的に決めるのは天測でした。

 

天測というのは文字どおり、天体を測ることです。何を測るのかと言えば、水平線から太陽や星までの角度(高さ)を測るのです。この角度を測る器械を六分儀と呼びます。船で航海士が使っているのを映画などで見た方がいるかも知れませんが、船の場合は、速度も遅く、正確な位置は一日に2回も求めておけば十分なので、朝夕の暗く(明るく)なり始めた時間に星と水平線が同時に見える時に星の角度を測ります。(太陽なら日中はいつでも測角可能)

 

飛行機の場合は一日中いつでも測れることが必要ですので、六分儀ももう少し複雑です。つまり、真夜中や雲の上を飛んでいて水平線が見えなくても、正確な角度を測定できるよう水平線を人工的に作り出します。日曜大工で水平を出す水準器がありますが、あれと同じように水中に浮かべた気泡を中心位置に置くことによって水平を出します。

 

航空用の六分儀は潜水艦の潜望鏡を小型にしたようなもので、ナブ席の天井のマウントに差し込んでぶら下げ、前後左右に自由に動かしながら水平を保ち、対物レンズの手前にある反射鏡の角度を変えて高さを測るように出来ています。測角をするには先ず内蔵された2分間時計のゼンマイを巻き上げ、接眼鏡を覗き込んで水平気泡が中心から動かないように保ち、その状態で、測ろうとする天体をさらにその泡の中心に重ねます。天測には時間の要素が非常に大切で、ねらった時間(正分)の1分前から発動し、1分後までの2分間、絶え間なく角度の変わっていく天体を追い続けてその2分間の高さを機械的に平均します。

 

昼間なら天体は太陽だけしか見えないので、間違えることは無いのですが、夜間は無数の星の中から、デネブとかアルタイルとかベガとかそれぞれ名付けられた星を探して中心に持ってこなければなりません。
星を間違えると天測が成り立ちませんので、代表的な星は名前を覚えておいた方が間違いないのですが、そこは良く出来ていて、事前計算でこの時間にこの位置でこの星を測れば、どちらの方向にどのような角度で見えるかと言うことは確実に分かります。したがって、マウントの方位窓に飛行機が飛んで行く方向をセットして水平を保ち、六分儀に予想角度をセットすればその星が自動的に中心に来てくれるのです。

 

問題は、測角を開始する時刻です。事前計算で何時何分から測ろうと決めていても、自分の時計が不正確であればそのぶん誤差が生じます。地球は24時間で360度回転しますから、天体も1時間に15度、1分間に15分移動します。つまり赤道上で天測を行ったとすれば、時計1分の狂いが15マイルの位置の誤差を生む訳です。1秒あたり463mの誤差ですから、いかに時刻の精度が大切かがお分かり頂けると思います。

 

一つの天体の角度を測ることによって1本の位置の線が出ます。夜ならば約120度ずつ方向の違う三つの天体を測れば3本の位置の線が得られ、それを地図上に書き込むことで三角形ができ、その内心が自分の位置になる訳です。天測を初めて教わった頃は、この三角形に九州がすっぽり入るような大きさになるのですが、1年も訓練すれば天測中に少々飛行機が揺れても三角形が一点で交わるようになりますから、訓練とは恐ろしいものです。

 

そのかわり努力は大切で、サード・パイロットである候補生は飛行隊に10台ぐらいある六分儀を1台ずつ地上で天測を繰り返してそれぞれの結果を比較し、自分なりの修正値を持っていました。「候補生は外出前に天測訓練!」というのが分隊長の指導方針で、隣のS2Fの部隊に配属された同期生が初めから副操縦席に座り、フライトが終わればサッサと外出するのを横目で見ながら、重い天測カバンを引きずって訓練講堂の屋上で星の出るのを待つ我慢の日々でした。

そう言えば当時の流行歌に「・・今に見ていろ僕だって・・」という歌詞がありました。

 

          その頃10万年に1秒しか狂わない電波時計があれば歴史が動いていたかも知れません。