味覚・視覚・錯覚     哨戒機機長

 

 最近のコンビニなどで売られている「おつまみ」は大変良く出来ていて、いろいろなナッツを取り混ぜて袋に詰め、程良い大きさで売られている。ウィスキーの水割りをテーブルに置き、このミックス・ナッツをつまみながらビデオの戦争映画などに夢中になっているとピーナッツの積りで口に放り込んだ豆を噛んだとたんに「ガリッ!」っと大きな音がして仰天することがある。自宅の居間なら「何だ!ピスタチオか?びっくりした。」で済む。目の前の皿にはピーナッツとピスタチオとアーモンドが入っていることを知っていたからである。

 

海上自衛隊では年に何度か演習や応用訓練を実施する。その内容の多くは対潜戦である。この対潜戦は海上自衛隊の発足以来訓練を続けており、実力は世界有数のレベルを維持している。

年に一度の演習は、1年間積み上げたチーム訓練の成果発表の場でもあるから、参加した搭乗員はチームの実力を認めてもらおうと競争意識がむき出しになる。

飛行機は演習中には昼夜の区別なく飛ぶ。一つの基地には限られたチームしかいないから巡り合わせが悪いと飛ぶたびに夜間飛行ということになる。昼間は仮眠をとりながら夜ばかり飛ぶ。飛行時間が長いから弁当を最低2食は持つ。腹が減っては戦が出来ないから、若い人は弁当以外にも自分の好みに応じてカップラーメンやらスナック類を持つ。

 

弁当はもちろん基地の給養班員が心を込めて作ってくれたもの、キャビアやフォアグラは入っていないが、焼き鮭や鳥の空揚げなどがメイン・ディッシュであとは添え物として竹の子や里芋、昆布の煮しめなどが入っている。

運動不足で腹の出かかった中年パイロットにはちょうど良い。

 

その弁当を真っ暗な中で食う。なぜ真っ暗かと言えば操縦席を明るくすると外が見えないからである。潜水艦を見つけるのは一般的には音や電波で初探知を得ることが多いけれども、目視だって捨てた物ではない。毎年の演習で何回かは目で見つけている。従って外が見える席に着いている者は出来るだけ周りを暗くして目を凝らして外を見ている。

演習ともなれば、隊の人員は総員配置だから予備のパイロットなど期待できず、弁当を食べながらでも見張りをしなければならないのである。

 

P-3Cの自動操縦装置は安定性が極めて良く、夜中でも多少の乱気流でも確実に姿勢を保持してくれるから安心して外を見ていられるのだが、かといって二人のパイロットが同時に食事を取ることはできない。どちらか一人は必ず操縦装置に軽く手を添えて、何かあればすぐ人力操縦に切り替える手筈を整えている。

それともう一つは食中毒の問題がある。もし長時間のフライトで食事が傷んだような場合、これまでの経験からすると腹痛は必ず同じ時間経過で現れる。二人が同じ時間に同じ物は食べない方が良い。

 

「じゃ、お先に!」と言いながらイスを20pばかり後方に動かし、後ろから運んでくれた発泡スチロールの弁当箱を手に取る。ご飯が入っている重い方を左側に持って来るのはいつもの癖だ。「うん。いつもの臭いだ。大丈夫だ。」と納得し、海面から極力目を離さないようにご飯を口に運ぶ。次におかずに箸を付ける。大きさからすると空揚げだな今日は。「うん。旨いよ。モグモグ!」「あれ!あの海面の白波はなかなか消えないなー。もしかして・・・あ、消えた消えた。」箸の先は引き続き弁当箱の上を這い、適当な大きさのおかずをつまみ上げる。「油揚げの煮物か??・・・ンー?・・・アッー!!」言いようのない驚きが脳裏を走る。一瞬恐怖感に似た気持ちが起こり食べたものを吐き出しそうになる。

 

油揚げだと思って口に運んだおかずがコンニャクであっただけなのだが、この時の脳細胞の混乱は経験者でないと到底理解できない。人間の味覚というものがいかに視覚から得られているのかが良く分かる。そして味覚に対する先入観、これが結構大きい。油揚げはこのような味だとの先入観で脳細胞が待ち構えているところに、コンニャクが運ばれてくれば恐らくこの味は何だろうという照合に時間を要するのだろうし、照合の結果無害だと分かるまでの間は、再び食べないよう防御本能を働かせて恐怖感を与えるのかも知れない。

 

テレビの番組で、目隠しをしたソムリエがいくつかのグラスに注がれた高級ワインの銘柄を当てるゲームがあるが、グラスの中に気の抜けたコーラでも入れておけば恐らく一口で吐き出すだろうと思う。げに人間の錯覚とは恐ろしいものだ。