セントエルモの火   哨戒機機長

 

 海洋冒険小説などで「セントエルモの火」の話を読んだことは無いだろうか? 嵐の夜にマストや帆柱の先端から青白い炎が立ち上り、臆病な船員が悪い事の起きる前兆だと恐怖に陥る話である。私も子供の頃に何度かこの話を見聞したが、興味は感じても「違う世界の出来事だ。」としか思っていなかった。

 

 今回は、それから数十年後に子供の頃読んだ、その「セントエルモの火」を日常的に見るようになってしまった話題である。

 

 真冬の空気が乾燥した時期に、玄関のドアのノブや車の金属部分に触れたとたんに強い電撃が走ってびっくりした経験は誰にでもある。あれは人が身につけている化学繊維と人体が摩擦することによって静電気が発生し、電位の違う物体に触れたとたんに放電が起きるため電撃を感じるのである。

 特に暗い場所では、ドア・ノブに手が直接触れなくても手に持った鍵を近づけただけで火花が飛ぶことがある。

 

 飛行機は常に空中を高速で移動しているから、空気中に滞留する細かな塵や水滴、あるいは気体の分子との摩擦によって静電気を帯電する。天気の良い状態であれば機体に貯まった静電気は、翼の後縁などに付けられた放電索から再び空気中に放電され、何事も起こらないのであるが、天候が悪くなって雲の中や雨が降っている中つまり天気図に出てくる「湿域」を飛ぶと水の分子との摩擦によって発生する静電気の量が大きくなり、電位差のある部分でコロナ放電が始まる。

 

 初めは、暗い中で操縦席前方の風防ガラスがボーと明るくなるだけで火花は見えない。ところが電位が大きくなるとガラスの下端から蛇の舌のような青白い光がチョロチョロという感じで上の方に這い上がる。クリスマスのデコレーション電球の中には赤い光がチョロチョロ立ち上るものがあるが、あれの色が青白くなって長さが伸びた感じである。

 それだけでも十分に気持ちが悪いが、さらに段階が進むと蛇の舌が長く伸びて風防ガラスの下端から上端まで達する。同時に本数が増え、5本が10本さらに50本となりガラス一面に広がる。ついには横の繋がりまで出来ておびただしい光の乱舞が始まるのである。そして湿域を抜けるまで10分でも15分でも続く。

 

 初めて見た時にはとにかく気味が悪かった。自分がパイロットである以上その席を逃げ出すわけに行かないから、不安を紛らわすために後ろのクリューを呼んだ。クリューも気味悪がって操縦席に長くはいない。みんなで渡れば怖くないと思ったけれど、いつも操縦席に残るのはパイロットとFEの3人だけ。いつしか会話も途絶え、FEは計器ばかり見つめてガラスを見ようともしない。

 

 昭和60年の派米訓練の時に、P-3C×5機で厚木を発った。ハワイに午前中に到着するためには午後7時頃日本を出発するから大部分夜間飛行となる。出発後3時間ぐらいたってこの「セントエルモの火」に遭遇した。それまでは5機の間で航法データの交換やら、到着後のスケジュール調整で無線交話が頻繁に行われ、うるさい程であったが、この「火」の出現でピタリと交信が止んだ。しばらく静けさが続くと自分の無線機が故障したのではないかと不安になって「○号機!そちらも火は出てるか?」と問いかけると「出てる〜〜。」と震える声が帰ってきた。

 30分くらい経って一番前を飛んでいる飛行機から「火が無くなった。」と通報があり再び賑やかになった。

 

 昭和40年代にまだHSS-1という対潜へりが飛んでいた頃、同期のK3尉が雨の夕暮れに奄美大島から鹿屋に向かって飛んでいた。トカラ列島沿いに北上する途中、このセントエルモの火に遭遇した。その時は右の車輪を支えている支柱から炎が立ち登ったそうである。ヘリでは初めての経験だから、搭乗員はてっきり火災だと思い込んだ。そこで機長が消火を命じ、クリューが機外に身を乗り出して消火器のCO2を思い切り噴射したが消えない。いくら速度を落としたヘリとは言え機外の気流は相当激しいので消火ガスがちゃんと届いたかどうか分からないが、消火器1本全部使っても消えない。更に決死の覚悟でウェスではたいても消えない。

 途方に暮れていると同乗していた司令が、「飯つぶを貼り付けて見ろ!」と言ったそうだ。ほかに対策が無いのでクリューは言われるままに弁当の食べ残しを取り出し、飯つぶを練ってダンゴ状にして火の出ている場所に貼り付けた。すると、しつこく立ち登っていた炎がピタリと消えた。鹿屋に着陸したあと入念に点検したが燃えたり焦げたりした痕跡はなかったそうだ。

 この司令は旧海軍出身の古い人であったが海軍で同じような経験があったのかどうかは聞き漏らした。

 

 この話は、同期のK氏が20年ほど前の「安全月報」に書いていたのを思い出して紹介した。Kさんは是非この続きを書いて欲しい。

 

 この帯電の本当の恐ろしさは、落雷につながる所にある。飛行機ではいつも先輩からの雷をかわしながら飛んでいるが、飛行中の機体に本物の雷が落ちたらどうなるか? 次の稿で述べる。