雷(かみなり) P-3C機長
昔から恐いもののランク付けは「地震、雷、火事、親父」が不動の順位を保っていたが、戦争(太平洋戦争)に負けてから、まず「親父」が権威を失った。21世紀の年代が進めば更に社会情勢とともに順位は変わるだろうが航空業界では自然を相手にしている以上簡単には変わらない。ただし、航空機の性能の向上によって脅威の度合いが変化したものはある。
たとえば、「雲」、人類が空を飛び始めて以来、雲は脅威であったに違いない。快適な飛行も雲に飲み込まれると同時にまず視界を失い、姿勢の判断の基準が無くなる。パイロットは空間識を失って上下の感覚が無くなり最後には墜落してしまう。しかし、この脅威は程なく飛行計器の発達によって克服された。
次に「気圧」、高々度飛行による低酸素症は与圧装置の発達によって過去の物となった。ハイジャックやテロは新たに生まれた脅威でもある。最後まで残るであろう地球の引力が制御されれば過去への旅も夢ではない。
さて、カミナリである。私が通った小学校の隣の神社の境内にあった大きな松の木に幅15センチ程の裂け目が先端から地面まで一直線に走っていた。祖父の話では雷が落ちた跡だと言う。子供心に「雷」という物の実態をつかもうとしたが、落ちるという概念がなかなか理解できなかった。
飛行機が高速で飛行すると、空気中の水の分子や塵との摩擦によって静電気を帯びることは前回の「セントエルモの火」で説明したが、この火はいつでもどこでも発生する訳ではない。解明されていない物も含めて、いくつかの自然条件が整ったときに出る。
ところが、雷は積雲系の雲が発達すると必ずと言って良いくらい発生する。夏の夕方に山沿いの地方で発生する積乱雲は、海上では寒冷前線に沿って広範囲に発生する。その中では極めて強い上昇気流が起こることから対流による電位の変化により放電が起こる。音こそ聞こえないが、夜の稲光は百マイルも遠方から視認できる。機上のレーダーでも積雲系の雲ははっきりと識別できるから、そんな所には始めから近づかない。20マイル以上迂回して飛ぶ。航空路を飛んでいても管制機関のレーダーにもはっきり写っているから、要求すればすぐ迂回指示をくれる。
厄介なのは、層雲系の雲である。温暖前線に沿って発生した雲は視界を妨げるだけで気流も安定しており、その中を飛んでいてもつい油断してしまう。雲中飛行でも真上には太陽が薄っすらと見えたりするから特に危機感もなく飛んでいると急にあたりが暗くなる。操縦桿にカタカタという振動が伝わって、VHFの無線に「ザーー」という雑音が聞こえてくると初めて「ヤバい!・・・かな??」と感じる。でもそれだけで済んでしまうことが結構多い。
数百回に一度ぐらいの割合で、カタカタに続いてゴトゴトと揺れだし、雑音が「ジャーー」と大きくなる。座席ベルトをグッと締め直したとたん、「ドッカーン!!」とという音と機体が振動すると同時に目の前で強烈なフラッシュをたかれ、一瞬何も見えなくなる。
落雷である。直ちに機内外の点検を命じる。機体の異常は中からは分からない場合が多い。ただ電子機器は少なからず影響を受ける。それでも通信機が一時使用不能になる程度で、機器から火を噴いたり、配線が焼け切れるようなことはまず無い。搭乗員が電撃を感じることは全く無い。
エンジンが止まったことも聞いたことが無い。以後の操縦性にも影響は出ない。
ただ、P2Vの時代に三陸沖で右の翼端に落雷し、チップ・タンクに残っていた燃料ガスに引火して爆発したことがあった。それでも被害は他に及ぶことなく無事八戸に着陸している。
航空自衛隊では、小松基地に着陸進入中のF-104Jが落雷により墜落した事例があるから決して軽視はできないが、必要以上に恐れることも無い。恐いのは雷雲に伴って発生する乱気流の方である。
着陸後、機外を入念に点検すると落雷した場所と、機外に抜けた場所がはっきり分かる。落ちた場所はペイントの剥がれぐらいである事が多いが、抜けた場所には爪楊枝が入るぐらいの小穴が幾つか空いている。
どこから抜けるかの規則性は無い。
私の場合、1万2千時間飛んで3回落雷を受けたから、個人的には十年に1回程度か・・? 最近の旅客機は雲のない高々度を飛ぶから、民間パイロットも落雷の経験はそう多くは無いと思う。
それにしても、なぜ搭乗員の人体に影響が無いのか?未だに不思議でならない。
平成4年の夏のある午後、四国沖での訓練を終えて鹿屋に帰って来ると強烈な雷雲が西から基地に近づいていた。錦江湾や南側の根占方面は真っ暗で所々で稲妻がビカビカ光っている。かろうじて空いている北側のダウンウィンドに滑り込み、落雷の予感と戦いながらベースターンに入ろうとした時、操縦席の後ろの方で「カシャッ!」という音がして、稲光が光った。
一瞬「やられた!」と思って後ろを振り向くと、見習いで乗せていた40期の某候補生が馬鹿チョン・カメラを構えて外の写真を撮っていた。昼なお暗い鹿屋の町が印象的だったそうである。
着陸後、自然現象を越える雷が彼の頭上に降り注いだのは言うまでも無い。